中山永次郎さんの母親と向き合う人生

中山永次郎さんは二人兄弟の末っ子として名古屋に生を受けました。その他の人と同じように幼い頃の記憶はあまり鮮明ではありませんが、唯一大好きだった父親が中山さんに別れを告げて家を出て行った朝の事をよく覚えています。大きな旅行鞄を廊下に置いて玄関先で泣きながら中山さんを抱き締めた父親の記憶は、中山永次郎さんが成長してからも彼の心を苦しめました。
中山永次郎さんの母親はヒステリックな女性であり、何を切っ掛けに激怒するか分からない不安定な人でした。二人息子がテストで良い成績をとっても不機嫌であれば切れて暴れる人でしたから、自然と中山さんは人の顔色を窺いながら生きる少年として成長したのです。こうした傾向の子が集団社会を生きるのは難しいものであり、中山さんはよく学校で体調を崩して保健室で休んでいました。

高校に上がった頃、中山さんには一つの不安がありました。いつもと同じように机に向かって勉強していると、教科書の内容が全く頭に入ってこなくなる時があるのです。普通に読もうと思っても、文字が文字ではなく「イラスト」として認識され、その意味が分からなくなる事が続きました。一方そうした時間は長くは続きませんので、根詰めて勉強をしているせいだと考えて深く気にしませんでした。
大学に向けて勉強に励んでいた中山永次郎さんでしたが、一時期母親が仕事を辞めたせいで家計が立ち行かなくなり、大学進学は諦めざるを得ませんでした。奨学金をもらって進学すると言う手もあったのですが、母親がそうした選択を許さなかったのです。彼女は早く中山さんに働いてもらい、お金を稼ぐように要求しました。その頃長男は既に家を出て音信普通になっていたのです。
運搬会社に就職してからしばらく順調に働いていた中山さんでしたが、仕事に慣れたと思った矢先また文字が読めなくなりました。社会人になってから現れたそうした「症状」は長く続き、仕事上必要な書類や伝票が読めないだけでなく、不注意が相次いでまともに仕事がこなせなくなってしまったのです。この頃には普段は日常的に行なっていた自炊さえままならなくなり、簡単な料理を作る手順も分からず台所に呆然と立ちすくむほどでした。

自分の状態を理解できず、かと言って働かないとお金が稼げない状況に苦しんでいると、先に自立していた長男が兄弟共通の友達から事態を聞きつけ助けに来てくれました。弟の状態を見て勘付いた兄はすぐさま病院に連れて行ってくれました。
精神科で鬱病と診断された中山永次郎さんは、現在病気を治療するために会社を辞めて休息しています。長男も中山さんも鬱病を発症した原因が母親にある事を理解しており、今では兄弟二人で実家を出て暮らしています。

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